できないクズの私の話。

10代は若気の至りで、自分を見失って怖いもの知らずだった私に、沢山の何者達かに叩かれて、気がついた時に正気に戻っていました。子供の頃は、大切にしたいモノについて、貰った手紙は箱にまとめて取っておき、実は広げて見ないだけで未だに持っています。自分の書いた絵や作品も、クリアーファイルに閉じてまとめていました。やっぱり、子供の頃は、記憶力も元気も力もあったので、何でも出来るような気がしていましたが、年齢で体力が落ちて、結局はできないクズになってしまいました。正直、喧嘩も争う事も、張り合う事もアドレナリンが上がりにくくて、怒の感情を諦めました。私は、牙のない、ライオンの様です。けれど、私は、楽しいとか愉快とか悲しみだけでも十分です。これは、私とゆう、できないクズの話です。それと、耳糞のせいで耳が聞こえないのではなくて、私は、幻聴なのか、人なのか見分ける事が出来ない病の為に聞こえているけれど、分からないから聞いていないのです。正直死ねって言っても幻聴が言った事なのか人なのか、聞こえてもわからないのです。自分の判断だけで、幻聴か人か、妄想か現実か判断しています。妄想と現実についても、現実か妄想か疑い冷静にジャッジしています。幻聴は元々半信半疑で、笑ってしまっても、その場だけで都合よくリセットされます。仕事の話、人間関係も家では持ち込まないですし、私は、私の事と、翔くんと、両親と息子達と、イエス様とシェルとHYDEさんの軸だけで、家では回っています。